【戦争につながったかもしれない】翻訳ミス

きっかけはよくわかりませんが、数年前から「アングラ」な中華料理屋が突然大流行し始めたのです。
「アングラ」と言っても、荷物置き場とクイックマニキュアショップの間にある、地下鉄のトンネルの中にひっそりとたたずむ氷点下の場所、という意味ではありません。
つまり、違法の店だということです。そしてそれは料理屋と言っても、家族の住むアパートが夜だけ食堂になるようなものです。
クレジットカードでの支払いはできませんし、飲み物はその家の住人である子どもがテーブルに運んでくる可能性が非常に高いのです。
しかしその違法の中華料理屋は素晴らしく、料理はたいてい中華料理チェーン店よりも美味しく本格的で、とても楽しい体験ができるのです。
私が好きなのは、メニューの解読に挑戦することです。チキンやエビに野菜麺やライスを添えたシンプルな料理から目を離すと今度は、「スパイシーガーデンショベル」や「ポーク・ア・ラ・フィッシュ」といった訳のわからない料理が目に飛び込んできます。
間違って翻訳された食品名には面白いものが多いものです。なんの罪のない文章を、呪いに満ちた文章に変えてしまう自動翻訳(機械翻訳)も同様に面白いものです。しかしもし、内容よりも文脈の方が重要な文章の場合、翻訳の影響はどうなるのでしょうか。
翻訳とは、違法な中華料理店の人たちがやったような、単に単語を切り取ってそれに相当する言語に変換することではありません。
会話や文章の中の言葉は、単独で成立していることはほとんどなく、周囲の他の言葉と結び付いています。また、それは特定の社会的、経済的、政治的、文化的な条件下で話されることもあるのです。
政治的な文脈では、単純なミスが戦争行為につながる可能性があるため、誤訳やその他「言語の壁」がより重要な役割を果たすことがあるのです。
※本コラムはUnbabel社のコラムを元にお届けします。
サウンド・オブ・サイレンス
1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国は第二次世界大戦を終わらせるために日本軍の降伏を求める最後通牒を送りました。
この文書は「ポツダム宣言」として知られるようになり、日本が降伏しない場合は「迅速かつ、完全な破壊」に直面することになる、と記されていました。
東京で新聞記者に迫られた当時の首相鈴木貫太郎は、正式な決定がなされていないにもかかわらずこの最後通牒について何か言わなければなりませんでした。
そこで鈴木貫太郎は「現時点ではコメントを差し控える」と答えたのです。しかし海外の報道機関はこれを別の内容で報じたのです。
1989年にニューヨークタイムズに掲載されたJohn J. Marchi(ジョン・J・マルキ)上院議員の記事によると、この誤解を招いたのはある言葉でした。
「Mokusatsu(黙殺、様々な解釈が可能ですが、日本語の「沈黙」を語源としています)」という言葉が鈴木貫太郎の考えを表わすものとして使われたのです。
つまり海外の報道機関は、「日本の首相はコメントを控えた」ではなく、「日本政府にとって最後通牒はコメントに値しないようだ」と世界に報じたのです。
この後の展開は歴史に残るものとなりました。その後現代まで、武力紛争に於ける核兵器の使用はこの一件だけですが、1945年8月6日、広島に最初の原爆が投下され、その三日後長崎に二つ目の原爆が落ち、20万人以上の命が奪われたのです。
A5駆逐艦が被弾
それから20年も経っていない1964年8月2日、北ベトナムの魚雷艇が駆逐艦「マドックス」を攻撃しました。
これはトンキン湾を巡航していた米軍艦を北ベトナムの巡視船三隻が追撃し始めたというものですが、結果的に米軍は北ベトナムの軍艦一隻を撃沈し、犠牲者を出すことなく現場から脱出することができました。
しかしその数日後、国家安全保障局(NSA)が北ベトナムからの通信を傍受し、その戦闘後に新たに別の攻撃が起こったと結論付けました。
しかし、NSAの歴史家Robert J. Hanyok(ロバート・J・ハニョク)氏によると、この通信は間違って解釈されたものだったようです。
北ベトナムが自国民の犠牲を表現するために使ったと思われる「We sacrificed two comrades.(我々は二人の同志を犠牲にした)」という言葉を、「We sacrificed two ships.(我々は二隻の船を犠牲にした)」と翻訳していたのです。
この誤りにより米軍では、戦闘は二回行われ、北ベトナムが二隻の船を失なったと勘違いしてしまったのです。
この誤訳がNSAによって意図的に改ざんされたものなのか、それとも単にミスが修正されなかっただけなのかは、NSAのアーカイブからベトナム語版のオリジナルが失われているため誰もはっきりとは分かりません。
しかしLyndon B. Johnson(リンドン・B・ジョンソン)大統領(1963年11月22日 – 1969年1月20日)は、ベトナムへの広範な軍事行動を許可するよう議会を説得するために、この攻撃を引き合いに出したのです。

ウランは見当たらない
最近では2003年、当時のアメリカ大統領George W. Bush(ジョージ・W・ブッシュ)が議会で一般教書演説を行ないました。
その大半は「Saddam Hussein(サダム・フセイン)が核爆弾開発のために大量のウランをアフリカから最近調達したことを英国政府は知っている」と自信満々に述べるという、イラク侵攻の正当性を説明したものでした。
その数か月後、アメリカはイギリス、オーストラリア、ポーランドとともにイラクに侵攻しました。
しかしやがて世界が知ることになるように、イラクは大量破壊兵器を保有しておらず、核開発計画もなく、当初考えられていたようなアフリカからのウラン購入もなかったのです。
George W. Bush(ジョージ・W・ブッシュ)が一般教書演説で述べたことは真実ではなかったのです。ではなぜ彼はそのように考えたのでしょうか?
ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト、Seymour M. Hersh(シーモア・M・ハーシュ)氏によればそれは、「1999年から2001年にかけて、イラクが世界最大の生産国のひとつであるニジェールから500トンの酸化ウランを購入しようとしたという情報をCIAが最近入手したから」とのことです。
CIAは三週間以上をかけて翻訳と分析を行ない、この文書は高度に機密化され、安全な施設で米英政府の最高レベルのみにブリーフィングされるとされていました。
しかし、国際原子力機関(IAEA、International Atomic Energy Agency)のMohamed El Baradei(モハメド・エルバラダイ)事務局長が問題の文書が虚偽であることを公表したため、この話はすぐに崩れてしまったのです。
あるIAEAの高官はさらに踏み込んでこう言いました。
これらの文書は、まともな情報機関から出たとは思えないほどひどいものでした。ドキュメントの質の低さを考えると、止められなかったことに落ち込みます。このレベルの重要書類であれば、もっと厳格に内容がチェックされることに期待していたのですが…。それはGoogleを使えば誰でも見破ることができるレベルのものだったのです。
もしこの文書をもっと早く見ていて、正しく翻訳していれば戦争に発展することはなかったかもしれないと思いたくなります。これは誤訳とまでは言わずとも、言葉の壁が関係者の対応に影響を及ぼしたケースなのです。
広島、ベトナム、イラクは、戦争の悲劇以上のものでつながっています。
この三つの出来事は、関係者が翻訳する際に些細なことに注意を払っていれば違った結果になっていたかもしれませんし、完全に防ぐこともできたかもしれません。
しかし残念ながらそうはならなかったのです。
まとめ
以上、「【戦争につながったかもしれない】翻訳ミス」でしたがいかがでしたでしょうか。
当社は翻訳の目的や、翻訳する文書の特徴、性質などを正しく理解、見極め、相手国の文化的背景を念頭に、ホームぺージや契約書、取扱説明書、プレゼン資料、リリース、ゲーム、アプリその他あらゆるビジネスで必要なドキュメント、テキストの「プロ翻訳者による翻訳」を、英語を中心に世界120か国語で行ないます。
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